塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中から自由の精神より抜粋引用。
【1944年、ローマも 〝開放〟された。
7月1日
ローマに帰る。まったく、何一つ変わっていない。すべてが、以前のままだ。この点では、ファシズムは永遠なり、とでも言わねばならないようである。昨日起ったことは、今日、同じように起っている。『アヴァンティ』紙(戦前戦中はファシスト党の機関紙、戦後は、社会党の機関紙)には今日、こんな記事が載っていた。
「労働者は、明るい顔をし、背すじがぴんと伸び、歩調がより強くリズミカルで、現在の政治的倫理的回復期を謳歌している」
新らしいレトリックがはじまったようだ。早々に勉強しなくてはなるまい。
同年8月7日
ファシスト党の首脳たちの下品さと不正直は、青春をファシズムの崩壊を待つことで費消し、ために復讐の念に燃えている老いた教授のモラリズムにとって代わられた。ただし、この人たちは、ファシズムが崩壊した今、彼らの生きがいであったものも同時に失われてしまったことに、つまり、ファシスト党は、これら反ファシストたちの、無害であった反ファシスト運動を正当化できた唯一の党であったことに、気がついていないようであった。
同年8月11日
新生イタリアの文人たちは、いっせいに左翼を宣言する。なにやら左は、右よりもよほど、ファンタジーが豊かでもあるかのようだ。
同年8月13日
魚料理をナイフを使って食うというだけで、彼らは、自分たちが左翼であると思いこんでいる。(魚料理の正式な食べ方では、ナイフは使わない。筆者(塩野氏)注)
同年8月19日
「あなたは、民主主義者ですか?」
「かつてはそうでした」
「将来そうなりそうですか?」
「願わくば、なりたくありません」
「なぜ?」
「ファシスト下に、もう一度もどらねばならないからです。独裁政権の下でなら、ようやく、民主主義を信ずることが可能なような気がするので」
同年10月9日
思想や主義が、わたしを恐怖におとしいれるのではない。恐怖におとしいれるのは、これらの思想や主義を代表する「顔」なのである。】
同じく『サイレント・マイノリティ』の中から第二の人生より抜粋引用。
【ジョヴァンニ・ダーリオは、外交官生活の間に職務として送った数々の報告書の一つに、次のような一文を記している。
「良識とは、受け身に立たされた側の云々することであります。反対に、行動の主導権をにぎった側は、常に非良識的に行動するものです」】