なぜ続いたのか?

塩野七生著 新潮文庫刊 『ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち[三]』 より

 

【カバーの金貨について

 

 他の職業人に比べて政治家が非難されやすい理由の一つは、政治とは誰にでもやれることだという思いこみではないだろか。例えば、ピアノのコンクールでは、審査員は有名なピアニストが担当する。いかに音楽を愛していても、単なる愛好家には、票を投ずることは許されていない。それなのに政治となると、選挙では誰もが一票を投ずる資格をもつとされている。でないと、反民主的と非難される。ということは、民を主権者とする政体とは、政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム、と言えないであろうか。

 となれば政治家にとっての死活問題は、政治のシロウトたちの支持を獲得することになる。知識はあっても政治を実際にやったことはないという点で、学者も評論家もメディアもシロウトに属す。政治家が挑戦すべきなのは、政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得するという、高等な技なのである。クラウディウス帝は、この放れ技に失敗したのだった。何によって?それは読んでお楽しみ、と言っておこう。】

 

この引用文は以前も引用しエントリしたのだが、もう一度引用する。

 

現代人、特に先進国の多くの人は・・・国情や国民の価値観等によって色々な考え方があろうが・・・今の生活がどの様な事によって維持され続けているのか?ということを理解している人は少ないと思う。そして誰もが「政治は誰が行っても同じ」と思っている事だろう。

 

しかし現実は違う。高度な技能を有する人間が政治を行っているのだ。だから先進国での「平和」が維持されている。

 

そしてその様な先進国の行う事を、先進国に住んでいる人が「先進国のエゴだ」「大国のエゴだ」と言うことあるが、先進国のエゴ、大国のエゴなどは当たり前だ。それぞれの国には、それぞれの国民がいて、その国民の利益を優先するからだ。それを出来ない政治家なんぞ要らない。

 

そして最も勘違いしやすい事が、いま豊かな国にいるからその豊かさを貧しい国にも・・と考える事だ。概念としては素晴らしい事とだ。それは否定しない。しかしただ物を、カネを与えたからと言ってすべてが解決するわけじゃない。与えたモノを、カネをどう活かすか、しかも与えた対手国の人々が考え実行せねば意味が無い。それが出来ないのなら滅ぶか植民地になるしか無い。そして、与えたから満足、善いことをした、となればそれこそ自己満足、マスターベーションでしかない。

 

穿った見方をしよう。支援してくれ、と先進国へ求める国、または今まで先進国は途上国の儀性の上に発展し途上国から得られる富を享受してきた、だから先進国の責任として支援すべきだ、と云ってきたからと言って、果たしてそれが本当の事と言えるのだろうか?国家運営に失敗してどうする事も出来なく成り、その様な事を言ってカネをくれ、と言っているのではないのか?

 

富の分配は、情緒的な「かわいそう」や過剰過ぎる平等感覚では上手く行かないのだ。高度な政治が必要なのだ。

 

ともかく豊かで安全な国に住んでいる人間は、勘違いを良くする・・・自分たちが豊かで安全である、ということが当たり前に成り過ぎているからである・・・その勘違いが勝手に歩き出すと大変な事に成る。その例が、ミンス政権だろう。そして、独裁とまで揶揄された長期自民政権が、なぜ続いたのか?その長期自民政権下で、何故ここまで平和と繁栄が維持出来たのか?ここを考えねばならない。

 

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関係のない話だが、寒冷化しても砂漠化はする。これは小中学校の社会や理科の授業でも教わる話だ。温暖化より寒冷化は、使える自然エネルギーが少なくも成る。

 

by urano-sakura | 2012-02-05 22:50 | 政教分離
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